遅めの昼ごはんを食べながらテレビをつけると、
どの局も東日本大震災関連の番組をやっていました。

2011年3月11日、あれから6年。

震災や原発事故を風化させないために
各局ともそれぞれ伝えたいことはあるのだろうけれど
こぞって同じような時間に同じような内容を
競うように放送していることに嫌気がさしてしまい
すぐに電源を切ってしまいました。

うまく言えないけど
被災地や被災者のことを
お茶の間で消費するコンテンツとして眺めていることに
罪悪感や違和感を感じてしまったのかもしれません。

「テレビは時に情報過多で、空虚だ」と
6年前も同じように感じたことを思い出しました。

そんな時、ふと心に留まったのが
ツイッターで流れてきた岩手日報の新聞広告。

「明日が来るのは、当たり前ではない。
3月11日を、すべての人が大切な人を思う日に。」

と締めくくられた
コピーとスナップ写真が数枚レイアウトされただけのシンプルだけど
まっすぐで力強い広告。

震災とは全く関係のないことだけど
私自身は「2011年」という年を振り返ると
それまで元気だった99歳の祖母が寝たきりになってしまったり、
仕事でとてもお世話になった人が亡くなったり、
父の病気が発覚したりと、
近しい人の哀しい出来事が次々と起こった年でした。
そして6年経った今でも、ふと寂しい感情に溺れてしまいそうになる時があります。

死は誰にでも平等に訪れる。
そして、明日が来るのは、当たり前ではない。
だから、自分はどうしたい?

と、
たった1枚の広告から
大切なことや忘れてはいけないことを考える時間を
与えてもらうことができました。

しかし、
年末のSMAP応援広告にせよ、
小沢健二の新曲リリース広告にせよ、
新聞広告の力ってすごいなぁと、心を動かされることが多いこの頃です。