(※注:ちょっとネタバレありかも)

映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」を観た。

ヴィヴィアン・マイヤーは15万枚以上の素晴らしい写真を残しながら、
生前一度も作品を発表することなく、乳母として生涯を終えた女性。

ある日、シカゴの現代史を研究する歴史家の青年が
古いシカゴの街並みを知るための資料として
写真のネガが大量に詰まった箱をオークションで競り落とした。
箱にはヴィヴィアン・マイヤーという、誰も知らない女性の名前が記されてあった。

ネガをスキャンしてFlickrにアップすると、熱狂的な賛辞が次から次へと寄せられた。
やがて「20世紀の写真史を書き換える発見」とも賞賛されるように。

けれども、ヴィヴィアン・マイヤー自身に関する情報は皆無。
そしてネガを手に入れた2年後、青年は彼女の死亡に関する記事を見つけた。
それをきっかけにヴィヴィアン・マイヤーを知る人々を訪ね歩き
彼女の生涯を紐解いていくというドキュメンタリー。

気難しくて、偏屈で、癇癪持ち
本名を偽ったり、自分のことを「スパイ」と名乗ったり
生涯未婚で、実の家族とも疎遠で友達もほとんどおらず
自室に古新聞をとめどもなく積み上げて保管するうような異常な収集癖があったりと、
関係者から語られるのは、孤独で風変りな私生活。

けれどもスクリーンに映し出される彼女の撮った写真たちは
被写体に対する深い洞察力が見事で
構図といい被写体の表情といい、とにかく味わい深くて
「もっともっと、見てみたい!」と惹きつけられるものばかり。

VM2
どうして彼女は、これほどの才能を持ちながら
誰にも見せることもなく
こんなにもたくさんの写真を撮り続けることができたんだろう。

現代風の言葉でいうなら「コミュ障」の彼女にとって
撮ることだけが社会や人々とコミュニケーションを図り
自分の立ち位置を確認することができる唯一の手段だったからなのかな。

でもそういうタイプのアーティストは恐らく今も昔もたくさんいただろうし、
作品を発表している人もあまたいると、思う。

自分の才能に気づいていて賞賛を浴びたい思いが強かったが故に
プライドが邪魔して発表することができなかったのか、
それとも、ひっそりと作品を撮り続ける人生に満足していたのか。

まぁ、今となってはそれを知る術もないんだけれども。

孤独を愛しながらも
彼女の無意識の奥底にあった「誰か私の本当の存在に気づいて!」という欲望を
写真たちが代弁しているようにも、私は感じた。

そして、私自身はどうして写真を撮り続けてるんだろう?
そんなことを考えさせられた。

とにかく、もっと彼女の写真を見てみたくて
ずっと買うのをためらっていた写真集も早速注文した。
届くのが楽しみだ。

Vivian Maier: Street Photographer
Vivian Maier
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