Pecograph

a day in my life

Menu Close

Tag: 家族 (page 1 of 4)

2年前

Macのハードディスクがいっぱいになってきたので
デジカメで撮った写真データを少しずつ整理しています。

これはちょうど2年前の3月26日に撮ったもの。
北海道新幹線が開通したというニュースを
父の入院しているホスピスの病室で見ていました。

この頃、
4歳になったばかりの甥っ子のマイブームがプラレール。
北海道新幹線の車両にも夢中だったので
「元気になったら、みんなで乗りに行こうね」
なんて話を、父と母としていました。

楽天的に考えたい私は、
何か奇跡が起きる可能性がゼロではないことを、
この時点でもまだ信じて疑っていませんでした。

でもきっと父は自分の体の状態を
誰よりもよくわかっていたのではないかと、
今になって思います。

余命が月単位から週単位に、
そして日単位から時間単位へと刻一刻と変わっていくなか、
家族で過ごした穏やかな時間を、懐かしく思い出しました。

父は病が分かってからずっと、
家族には“いつも通りの生活をすること”を強く望んでいました。
厳しいくらいに。

2年前の3月や4月のブログを久しぶりに読み返してみて、
私も平常心を保つため必死だったことも、思い出しました。
http://www.pecograph.com/note/?m=201603
http://www.pecograph.com/note/?m=201604

しかし、ブログで振り返ってみてみると
看病しながら仕事もして、
よく英語の勉強も途切れず続けられたなぁ。
そしてブログ書くことも。
もうあの時の感情をあの時と同じように思い返すことはできないので、
書き留めておいてよかったなと、改めて思います。

今、年度末の締め切りで
とにかくバタバタしていて胃が痛く余裕がない毎日なんだけど、
あの頃のことを思い出すと、なんとか乗り切れそうな気もしてきました。
いや、乗り切らないといけないんだけど。

造船所のある港町

生まれて初めて“船底”を見ました。
今日は港町の造船所へ。

ちょうど船の検査をしているところを見せてもらうことができました。

亡くなった父は船の検査技師をしていました。
転勤の多い仕事で、小さな頃から家族で港のある町を転々としていました。
父の病が見つかってから、
両親と私でかつて家族で住んでいた港町を訪ねる旅に出ました。

旅先で父がいつも行きたがったのは、造船所のある場所。

母や私はまったく興味がないにもかかわらず、
おかまいなしで行き先を決める父…笑。

あまり仕事のことを家で話さない父だったけれども
父が働いていた現場の様子を
ほんの少し肌で感じることができた貴重な経験でした。

ウルトラマンが守るもの

ピンボケ写真。
マラッカからクアラルンプールへの帰り道、
ウルトラマンの大きな立て看板を見かけたので、慌ててシャッターを切りました。

ウルトラマンに夢中の5歳の甥っ子に
「マレーシアにもウルトラマンいたよ!」
とLINEをしたら、ふーん…とつれない返事。

「だって、ウルトラマンは地球を守ってるんやから当たり前やん」だって。

ウルトラマンの種類を覚えられない伯母は
最近すっかり見下されています。

そんな彼にも、今日市役所から小学校への入学通知書が届いたそう。
4月から1年生か。

On Sunday Night

「痩せる」とタイトルがついた小林麻央さんのブログの記事を読んで
図らずも涙が出てきて止まりませんでした。
https://ameblo.jp/maokobayashi0721/entry-12276707987.html

ちょうど1年前は父の四十九日でした。
そんなこともあって、
父の入院していた頃のことをいろいろ思い出してしまったからかもしれません。


命とは 理由も意味もなく生まれて
いろんな意味を見つけて消えていく

なんでもない明日にも
挫折や不安がそっと潜んでいて
ほんのちょっとのおまじないで
それはウソみたいに光に変わる


スガシカオの配信限定の新曲雨ノチ晴レの歌詞に
たくさんの力をもらってる、この頃です。
http://j-lyric.net/artist/a000655/l03fc2c.html

 

そして、小林麻央さんのブログからは
当たり前のように日々過ごしていると見過ごしてしまう
命の輝きについてハッと気づかされることが多いです。

どうか彼女に奇跡が起こりますようにと、いつも願ってます。

1年

明日は父の命日、そして一周忌です。
お墓の掃除に行った母によると、
霊苑にはすでに満開の桜もあったとのこと。

いろんなことを思い出すけど、
じっくり感傷に浸る時間がないまま月日が流れていきます。
でもそれはしあわせなことなんだろうな、とも思います。

明日はお天気も良さそうで、よかった。

ホスピスの窓から

1年前の今頃は
父が入院したホスピスの窓から夕暮れの風景を、毎日眺めていました。

「一生を24時間に換算すると、
 父は今何時何分頃になるんだろう」

なんてことを、よく思ってました。

桜が開花しはじめる頃、一周忌を迎えます。

昨年は桜の開花が楽しみである一方
それは父の命のリミットが刻一刻と近づいていることを意味することでもあったので
複雑な気分で過ごしていたけれども
今年は、ただただ桜が咲くことが待ち遠しい気分です。

ふだんあまり読み返すことのない自分のブログの1年前の投稿を見てみると
看病の合間によく冷静にブログを書いてたなぁと思います。
しかも他愛もないことばかり 笑。
http://www.pecograph.com/note/?m=201603

ホスピスで父と家族と過ごした12日間は
本当に穏やかで、かけがえのない濃い時間でした。

いろんなことがあったけれど
今こうして振り返ると、1年があっという間に感じます。
“父がいない娘”として、初めて4つの季節を経験したことになるんだな。

書き留めておきたいと思うことも、また書きたい気分になったらそのうちに。

2011年

遅めの昼ごはんを食べながらテレビをつけると、
どの局も東日本大震災関連の番組をやっていました。

2011年3月11日、あれから6年。

震災や原発事故を風化させないために
各局ともそれぞれ伝えたいことはあるのだろうけれど
こぞって同じような時間に同じような内容を
競うように放送していることに嫌気がさしてしまい
すぐに電源を切ってしまいました。

うまく言えないけど
被災地や被災者のことを
お茶の間で消費するコンテンツとして眺めていることに
罪悪感や違和感を感じてしまったのかもしれません。

「テレビは時に情報過多で、空虚だ」と
6年前も同じように感じたことを思い出しました。

そんな時、ふと心に留まったのが
ツイッターで流れてきた岩手日報の新聞広告。

「明日が来るのは、当たり前ではない。
3月11日を、すべての人が大切な人を思う日に。」

と締めくくられた
コピーとスナップ写真が数枚レイアウトされただけのシンプルだけど
まっすぐで力強い広告。

震災とは全く関係のないことだけど
私自身は「2011年」という年を振り返ると
それまで元気だった99歳の祖母が寝たきりになってしまったり、
仕事でとてもお世話になった人が亡くなったり、
父の病気が発覚したりと、
近しい人の哀しい出来事が次々と起こった年でした。
そして6年経った今でも、ふと寂しい感情に溺れてしまいそうになる時があります。

死は誰にでも平等に訪れる。
そして、明日が来るのは、当たり前ではない。
だから、自分はどうしたい?

と、
たった1枚の広告から
大切なことや忘れてはいけないことを考える時間を
与えてもらうことができました。

しかし、
年末のSMAP応援広告にせよ、
小沢健二の新曲リリース広告にせよ、
新聞広告の力ってすごいなぁと、心を動かされることが多いこの頃です。

久々の畑仕事

父が遺した家庭菜園用の畑の面積が広すぎて
母と私では手に負えず
規模を縮小するために
今日は午後から母と二人で畑の掃除。

私も仕事が忙しいことを理由になかなか行くことができず、
母も夏に暑いなか無理をして少し体調を崩したりして
夏の終わりからほぼ放ったらかしにしていたので
それとなく耕作放棄地状態…。

1年くらい前までは
いつも父の作った旬の野菜が
食べきれないくらい台所に届くのが当たり前だったけど
その当たり前を当たり前にしてくれていたのは
毎日父が丹念に畑の世話をしてくれていたからだったのだなと、
畑に入って雑草と格闘して改めて感じました。

とにかく今日は
《雑草》と呼ばれる植物たちの生命力の強さに圧倒されました。
どいつもこいつも、根深い!

どうか明日、筋肉痛になりませんように。

© 2018 Pecograph. All rights reserved.